こんにちは。私は韓国で生まれて今は日本でSEOコンサルタントとして活動している和久井正と申します。 日本に来て15年目になる私たちの経験がこれから日本で将来を考えたい方々に役に立ったらと思います。

韓国では映像関連の専門大学を卒業し、京畿道一山に在住しながら放送局のカメラ補助の仕事をしていました。
エンターテインメント会社を設立して歌手の夢を見ている友達のサポーターになりたいという夢があったので放送局の仕事は私にとって重要なステージでした。
普段、文章を書くのも好きで、大学ではシナリオを作成するのも面白がっていたので、放送局でアシスタントとして働くだけでも楽しい日々を過ごすことができました。
でもその当時、私にとって韓国で会社を設立するというのはなかなか難しいことでした。 それで日本にいたお母さんに相談して日本についてもう少し詳しく知りました。
2009年に日本に行くための計画を立てる。
大学に通っていた時、日本の円の為替レートが韓国ウォンに16倍まで達したことがありました。 5万円の送金を受けましたが、韓国のお金で80万ウォン近く入金されて驚いた経験が今でも記憶に残っています。
他にも日本の賃金が韓国より高く、働く環境も速くないが、着実に仕事をするスタイルだという話を聞いて、普段早く仕事を処理したいと思う私が活動するのに余裕がありそうな気がしました。
それで、まず日本語を学ぼうと思い、日本に行く6ヶ月前からネイティブに学べるという韓国の日本語塾に通いました。 そしてその時、当時日本で生活している人たちの情報が多くなかったので、少しでも役に立つように余裕貯金を始めました。 目標はエンターテインメント会社を設立することだったので、事業計画書を作りながら放送局の先輩たちを通じて日本側の放送局の現地情報も収集しました。

毎日夜明けまで働き、日本語の塾まで通うというのは簡単なことではありませんでしたが、生まれて初めての海外だということを考えると、毎日わくわくする気持ちで浮かれていました。 また私が高校2年生の時に再婚した母の相手が日本の方だったんですが日本に行くと初めて会うのでどんな方なのかとても知りたくて会ってみたかったです。
一生懸命勉強した日本語でお会いしてすぐ堂々と話せる姿をお見せしたかったし、いよいよパスポート準備及び様々な手続きを経て日本に到着することになりました。 そして、初めて父と会話をした瞬間、私は慌てて頭の中に混乱が来始めました。
来日早々のため息

韓国で日本語学院を通いながらひらがなとカタカナを全部覚えたし単語及び文章勉強もしました。 ところが、地元の人である父の言葉が一つも聞き取れないという現象が起き始めました。
今まで学んだことは一体どこに使えるの? 挨拶と食事前の挨拶以外に内容は白紙化されているように感じ、毎回お母さんに通訳を頼むという状況が起きました。 韓国で毎月塾代として数十万ウォンと貴重な時間まで投資していたのに、なぜそんなことが起きたのか今になって理解できます。
その理由は言語は勉強をしても直接使う習慣と聞く習慣がなければ適応ができなくて使えないということでした。 相手が質問に答えるのに時間を待ってくれるなら問題ありませんが、一般的な対話をしようとすると、聞く人と聞く人との待つギャップは1秒にもならないでしょう。 その短時間であまり使わない外国語を考えて使うというのは簡単なことではありませんでした。
日本にある日本語学校と日本でのアルバイト

父は新潟という田舎に住んでいて、日本語が心配になった父は東京に住んでいる妹さんに私が日本語を学ぶためにはどうすればいいか相談をして、その時初めて日本にも日本語学校があるという事実を知りました。
東京にある日本語学校に通いながら先に日本語を勉強してみるかという父の提案に私は何の躊躇もなく東京に引っ越して日本語学校に通い、同時にアルバイトをしました。
日本にある日本語学校に入ったら、韓国、中国、アルゼンチン、香港など様々な国の留学生がいました。
みんなお互いに言葉が通じない友達もいましたが、日本語を学ぶ立場という点で全体的にフレンドリーな雰囲気でした。 そして、私は日本に初めて来た時のことを思い出し始めました。
ここで韓国の方と毎日韓国語を使うようになったら、また同じ過ちを繰り返すと思いました。 でも、海外にいると母国語を使う方は日本語ではなく母国語で会話をしたがるんですよ。 私も正直そういう気持ちがなかったわけではありません。 しかし、その誘惑に負けてしまうと日本に来た意味がないと思い、私はわざわざ韓国以外の国の友達と会話を試み始めました。
お互いに日本語でしか会話ができないから上手な語彙力ではないかも知れないが使うということ自体に意味があると思ったし, ある程度時間が経って語彙能力に対する不足さと東京での生活費が不足してアルバイトを決心しました。
アルバイトでお客さんを相手にする時ミスも多かったが留学生という部分を理解して接してくれるお客さんもいておかげさまで熱心に通うことができました。 毎日日本人たちと対話をする習慣そして関係を作って行って日本語学校で文法勉強を終えて卒業してすぐ音楽関連専門学校に入ってボーカルインストラクターとして卒業しました。

卒業をしてライブハウスを経営する会社に就職し、専門学校の時から付き合っていた彼女と婚姻届を出すようになりました。 そして事業を始めることを決め、ライブハウスを退社し、2014年にエンターテインメント事業を目的とした会社を設立しました。
生涯初めて設立した会社
その当時投資経営ビザをもらわなければならなかったので500万円が入っている通帳を用意してビザをもらって会社を設立しました。
知り合いの方に人脈も紹介してもらいましたが、エンターテインメント事業をするには力不足で、会社設立後3ヶ月で前に進む方向を失ってしまいました。
経営というものも経験がなかったので問題点を見つけるのも難しかったし、相談できる人がいなかったので困難も多かったです。
しかしその時アメリカ出身の友達が私にSEOということについて教えてくれて普段好きだったコンピューターを活用したインターネットを通じた事業を始めます。
その当時、日本では韓流ブームが起きていて、韓国の女性ファッションアイテムが人気でした。 そこで韓国の東大門で服を仕入れて、日本のインターネットサイトにアップしてSEOを活用して販売を始めました。

そしてサイトオープン後1ヶ月で広告なしで50万円程度の売り上げを上げ始め、常連客もできました。 しかし経営知識が足りないせいで毎月利益率の低下によって会社の赤字が続き、仕方なく他の会社に就職することにしました。
あれから10年という月日が流れ

一時は道に迷って迷ったりもしたし体の苦労、気苦労も多かったです。 何度も韓国に帰りたいと思ったこともあったし、韓国にいたらもっと楽だったかな? ということも考えたことがあります。 ただ、私が考えている一つ確かなことは、今までやってきたこれらすべてのことは、私が韓国にいたら実現できなかったということです。
留学中に知り合った韓国の方20人近くいるのですが、その方の中でお一人以外に今日本に残っている方はいません。 結局韓国に帰国してやっと覚えておいた日本語で今はうまくないんですよ。
言語ができることは、かなりの競争力を生み出す可能性があります。 日本語と韓国語を同時に高いレベルで駆使できるということだけでも、会社に就職することは問題ありません。 ただ、本人が会社に対する条件が平均以上の場合、就職が難しいだけだと思います。

私は今韓国語と日本語を活用して二つの国で収益創出を進めていて会社の役員として活動しています。
このようなことができたのも私があきらめずに日本にいたからだと思います。
国と関係なく今まで会って来たすべての方々に感謝してこれから会う方々に感謝して持続的に成長して行く和久井正になりたいです。
日本に留学生活を検討中の方に少しでも役になったらと思います。
ありがとうございます。